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2023年8月22日火曜日

「ゆりな」が引退しました

20日(日)の北陸陸上選手権を以って、ふくのジュニア陸上クラブOG「ゆりな」が競技から引退しました。

これまで、クラブとともに歩んできた競技人生を振り返ります。

出会いは小学5年生の冬。当時、冬期の陸上教室は無くて、色んなスポーツに取り組む子供たちを対象にしたレベルアップトレーニング講座をやっていました。そのときのタイム計測で当時のウチの6年生エース「ゆいな」(後の12秒台スプリンター)と遜色ないタイムで走っていたのがソフトテニスをやっていた「ゆりな」。この子は何者?とまず名前を覚えたのが最初でした。

翌年、まだクラブ員ではなかったものの、県小学生陸上交流大会の100mで入賞し、秋シーズンからいよいよウチのクラブの門を叩いてくれました。小学生の間はちょっとしか大会には出場していないにもかかわらず、100mと1000mの両方で歴代トップ10に入っているのは今でも「ゆりな」だけです。

中学生になり、春の地区陸上で100mは1位だったものの、このシーズンは少し伸び悩みもあって投てきの道を模索し始めます。

2年生になってからは、当時四種競技の県内トップ選手だった「あみ」がクラブにいたこともあり、総合力を高めていくために四種競技をやってみたらと提案したら「やる!」と即決。この積極性や苦手だったハードルや高跳びにも頑張って取り組む姿は今のクラブ員にも見習ってほしいところです。

夏になり、またもや勢いで円盤投なら全国に行けるかも、とけしかけたらあっと言う間に闘争心に火が付いて、トントン拍子に予選を突破し、「あみ」と共に全国ジュニアオリンピック大会に出場しました。このとき行きの飛行機で「ひとみ」のお父さんと偶然席が隣同士になったことがきっかけで、後々「ひとみ」がクラブに入ってくれることになったことは今でも語り草です。

3年生になり、いよいよ砲丸投を練習の中心に据えます。疲労骨折があったり、バスケ部副キャプテンとして悩みながらも、順調に記録を伸ばし続け、通信陸上県大会で1位。北信越大会3位にまで上り詰めました。

そしていよいよ全国ジュニアオリンピック大会に向けて円盤投を再開。あの頃はヒマさえあれば円盤を投げ込む日々でした。確か日本がメダルを獲得したリオ五輪の4×100mリレーの決勝も、円盤練習の合間に「ゆりな」と見てた記憶があります。

順調に調子を上げて迎えた大会本番。練習場での投擲を見る限り入賞確実という投げを見せる中、競技が始まるとまさかの3回ファールという結果に終わりました。2人で本当に落ち込みましたが、もしかしたらこの経験がこれまで陸上を続けてくれた原動力となったのかも知れません。

その後の能登ジュニア陸上選手権で、33.00mの富山県中学最高記録を樹立してリベンジしたのもこれまた伝説です。この大会で中学校の競技は終了。クラブとして直接関わったのはここまででした。

高校時代は紆余曲折あったものの、インターハイや国体にも出場しました。北信越チャンピオンにもなりました。ギリギリでしたが卒業式後の3月には40mスローワーにもなりました。

大学でも競技を続けることを決め、名門の体育系大学に進学。順風満帆に昨年は46m41cmまで記録を伸ばしました。この記録はこの年の日本ランキング23位であり、富山県歴代6位の素晴らしい記録です。

いい記録が出るとそのたびに連絡がありました。そんな「ゆりな」も大学4年となり、今シーズンは少し苦しんでいたようです。そして最後の大会は41m58cmで北陸選手権2位。表彰式後の写真が送られてきましたが、やり切った感のあるいい笑顔でした。

自身の競技は終えたものの、今はまだ大学の投てきブロックの主任として責任を果たさねばなりません。でも責任感の強い彼女は最後までしっかりやり切るでしょう。

もう少し時間をおいてから、また労ってやりたいと思います。少し陸上から離れてみる景色も必要かもしれません。そしてまたいつかユルーくでもいいので、陸上に関わってくれたら嬉しいです。「なぎさ」も3年休んで復帰しましたしね。

本当にお疲れさまでした。陸上競技を通じてこんなアスリートをまた育てていきたい、と強く思わせてくれました。

「ゆりな」との出会いに感謝。ありがとう!

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